『オトコノコ倶楽部vol.1』のコンテンツよ..
最終更新日時:2010-01-09 19:41:31
女装雑誌の歴史/女装、ニューハーフ雑誌の変遷
時事・取材
投稿者 OC編集部
コメント数 0 最終コメント日時 2010-01-15 19:33:19 投稿日時 2010-01-15 19:33:19

『オトコノコ倶楽部vol.1』のコンテンツより。
※『オトコノコ倶楽部』編集部では、女装通信にコンテンツを定期的に投稿していく予定です。
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新創刊おめでとうございます。私は女装&ニューハーフの世界について漫画界で一番詳しいのではないかと自負している某漫画家です。
「もしかして?」気づく読者の方もいるかもしれませんが、一応覆面作家という設定で登場させていただきますので、成年誌系コミック誌や実話誌で使用しているペンネームは封印です。本邦初の女装専門誌「くいーん」の創刊当初より関わり、漫画、イラスト、小説の挿絵、及び情報ページ等々を担当させてもらいました。
その後、ニューハーフ雑誌「シーメールラブGOLD」にて「上手詩織」名義で「誌・メール」というファンタジーショートコミックの連載他を描いていました。今回、編集長に「女装文化の歴史」というアカデミックで立派なタイトルをつけていただき、久々(2年ぶり)の女装誌ですのでハリキっています。内容的には、女装の四方山話ですので、お気楽にお付き合い下さい。
さて、本題ですが、私の手元のは「くいーん」全142冊を中心に、女装、ニューハーフ各誌が揃っていますので、私なりの各誌との関わりを含めてくいーん以前以後について触れたいと思います。
1)風俗専門総合誌
最近はテレビも専門チャンネルが沢山あって私などは見るのに困ってしまう程です総合テレビと、専門チャンネルテレビ、総合から細分化、多様化という流れは世の常です。女装、ニューハーフ誌も同様の経過を辿っています。「くいーん」が創刊されるまでは「女装」のテーマは風俗専門総合誌の中で、ホモ、SM、フェチ等々と一緒に誌面の1コーナーとしてのみ存在していました。私が所持している「風俗奇譚」「奇譚クラブ」は古本屋で手に入れたモノです。一番古いモノは昭和41年9月号で、裏表紙には定価350円とあります。
「風俗奇譚」には富貴クラブという会員制女装クラブが、毎月レギュラーでページに関わっています。富貴クラブはイメージ的にはエリザベスのシステムにプレイルームが併設している感じです。
女装者愛好の男性も出入りが出来るわけです。
ですので、誌面内容は、富貴クラブの会員交友録や富貴クラブ内のパーティーレポートです他に「女装愛好の部屋」という文通コーナーもあります総合風俗誌の1コーナーとしての女装ページですが、写真、創作、レポート(情報)、文通と基本的な要素が詰まっていますね。
「奇譚クラブ」は新しい風俗文献誌と銘打っており、創刊は第三種郵便認可が昭和31年4月とありますので、「富貴クラブ」の郵便認可昭和35年8月よりも4年程早い事になります。
こちらは、富貴クラブのような女装クラブが母体として関わっていないので、女装をテーマにするページがレギュラーとしては定着していません。
特記すべきは、団鬼六の名作SM小説「花と蛇」が掲載されていることです。
昭和52年に入って休刊していた「風俗奇譚」の復刊が始まりました。
私自身、今度はリアルタイムで手に入れました。
この頃にはエリザベスも開店してましたので見覚えのある店内が背景に写っている女装写真が掲載されています。
定価は1000円です。
同様の定価で昭和53年54年頃「ブラックキャッツ」という総合風俗誌が大人のオモチャ系の店舗で売られていました。
この雑誌は誌面の大
半を文通コーナーに使っています。
当時は今のようなパソコンやケータイの出会い系サイトがありませんから雑誌を介しての出会いの需要は大きかったので、成立していた雑誌です。
昭和57年(1982年)この頃では「くいーん」も10号の大台です。
他の分野もSM,本も既に雑誌と既に専門誌が出ていてもう総合誌の時代ではなかったと思います。

2)初の女装専門誌「くいーん」の創刊
アマチュア女装交際誌「くいーん」の創刊!
これは「女装」の旗印を掲げたという点で、女装界にとって歴史的な意味があったと思います。
私は神田店がオープンするまでは日暮里店によく足を運んでいました。
店内には書き込み用の置ノートがありました。
女装者の自己表現の場的な面があったと思います。
この書き込みノートは、神田店がオープンすると、サロンと呼ばれていたスペースに置かれていました。
このサロンという場所は、階下でメイクを済ませ女装姿が完成した後に階段を上がって女装者の人達が集まる茶話室です。
ここの担当者が世良さんという方で本人も女装者とのことでしたが普段は男姿で接していました。
又、作家志望であると云っていまして「くいーん」誌上にも連載小説を一本書いていました。
その世良さんが私に「今度「くいーん」が創刊されるので表紙イラストを描いてくれないか?」
という打診がありました。
その時点では私は劇画制作会社Sに所属していたので会社との関係を考慮してお断りしました。
が、その時私が仮にイラストを担当していたら女装・ニューハーフ誌の表紙は写真ではなく、イラストという流れになっていたかもしれません。
結局は表紙は描きませんでしたが、誌面では、長年のお付き合いに発展しました。
くいーんには「女装交際誌」と銘打ってありますが、雑誌の柱として文通コーナー「女装者求友メッセージ」が創刊号より巻末を飾っていますが、当然、創刊前にメッセージは本来ありません。
そこでエリザベス会館に来る女装者の人達にサロンで世良さんが、求友コーナーに参加協力を求めていました。
私も協力させられました。
その甲斐あって参加者は、60余名に及んでいました。
創刊から一年度、編集部に20歳の石川さんが入社しました。
石川さんは父親が映画の美術を担当している血筋もあってイラストの上手い女性です。
NO7から石川さんのイラストが私と一緒に誌面を飾っていました。
この時はまさかと思っていたでしょうが、2年後のNO18(昭和58年6月号)より、二代目神田三夫編集長となるのです。
この号より背表紙が変わります。
初代の編集長が3年で退社後、石川編集長が最終号のNO142(2004年2月号)まで長きにわたって担当することになる。
くいーんの編集部には関わった年数の割には数回程度しか顔を出していない。
1989年頃行った時くいーんの発行部数は5000部だと云っていたのでスゴイ!!と思った。
それにほぼ完売!購販理由は求友メッセージ目当てらしい。
二番人気はメイク特集と云っていた。
編集部内の本棚にはくいーんが各冊3冊ずつ揃えて並べてあった。
仮定の話ではあるけれど、男性編集長だったら?と聞いてみると、「もっとスケベになったんじゃない」と答えていた。
読者のニーズにも色々あって、小説なんか全然読まない人もいると話していた。
この日私は担当している小説やイラストを届けに来ていた。
増ページになって毎回ネタ(企画)を見つけていくのが大変だから小説でページを埋める事に頼ってしまうのもある程度仕方がないのかなという気がした。
今振り返ってみると、くいーんは女装総合誌の王道を歩んでいたんじゃないかと思う。
くいーん休刊後、数年して石川さんを中心にファッショナブルなムードの表紙で女装誌が創刊されてエリザベス各店で売られていた。
部数が僅かだったので手に入れ損ねてしまったのは残念。誌名も分からない。

3)ひまわりの登場
もう一つのアマチュア女装誌「ひまわり」の創刊。こちらの編集長はバイク女装のキャンディさんです。一度編集部兼プライベートルームとして借りていたアパートを訪ねたことがあります。
1991年10月です。
場所は京浜急行・大森町駅から数分の所でしたがすぐに分からず、交番で聞いたりして苦労した思いがあります。
キャンディさんが「雄美社」として借りていたアパートは、木造二階建てで玄関が一つ共同のゲタ箱がある昔っぽい印象のつくりでした。
二階へ上がり「ひまわり」と書かれたドアをノックした。
中から「どうぞ」との声がして部屋へ入ると6畳間のスペースに所狭しと女装用品や本、ビデオが並んでいた。女装用品で目立ったのは、ウィッグである。
天井間際にあるカラーボックスに7台くらいあった。
1台だけ人毛である。もう一つ目についたのがキャンディさん愛用のコスチュームである。
基本的にはワンピースにヒラヒラフリルのついたロリータファッションである。
必要は発明の母なのかキャンディさんはこれらの衣装を自分で作っている。
最初から出来たわけではなく、当初は買ってきたTシャツとかにフリルをつけていたらしくその一枚を見せてくれた。
私が来たら知らせると階下のヒトに云ってあったらしくキャンディさんは床をトントン叩いて合図をしていた。
まもなく、みゆきという女装者が男姿で入ってきた。
彼も女装キャリアはキャンディさんと同じく5年ぐらいらしい。
つまり、5年前くらいにエリザベス会館に初めて顔を出したという事である。
キャンディさんの話では「ひまわり」を発行する前はエリザベス会館のサロン内で「リップ」という小雑誌を出していたら「そういうモノを出すなら来ないで」と云われてその小誌は潰されたという。そして「外部のヒトは「ひまわり」はエリザベスとケンカしていると思っているらしいが、別にそういうわけではない。」とも云っていた。
この日ここを訪ねた主旨は「ひまわり」への誌面参加にあった。
プロの参加についてキャンディさんは金銭面での心配をしているらしかった。
「ひまわり」の発行はこの時点では年2回というペースであった。後に季刊化する。
販売ルートはくいーん同様本扱いというよりも大人のオモチャ扱いのアダルトショップで売られている。
「ひまわり」の場合、定価2000円で手元に入ってくる金額は800円で、1200円分は販売ルート側の取り分になってしまうらしい。
発行部数は4000部で「くいーん」と同じくらいだと思うと云っていた。
こんな経済的事情を話し出したのは、今思うとプロの参加には慎重であると暗に云っていたのだろう。結局、キャンディさんとの縁はこの日夜7時から10時過ぎまでの長時間、話をしただけであった。この頃のキャンディさんはまだ若者のしっぽが残っていた感じがした。
その後、テレビや雑誌のグラビアで見かけるキャンディさんは、中年オヤジがオバさんをしている感じになっていた。
キャンディさんには中学になる子供がいるのでPTAとかで色々云われるのでは心配していた。キャンディさんの女装観は「女装はバレるもの」という考え方であった。
このバレる、バレないは今にも通じる女装のテーマである。
「ひまわり」はNO7より、A4判の版型になるが、創刊号からNO6までは週刊誌サイズのB5判で、ページも薄いモノだった。
編集方針は現役アマチュア女装者の手作りドキュメンタリー誌で、女装者の立場で女装者の感性で作るというモノであった。
くいーんの総合誌的傾向に対して、ゲリラ的色彩を帯びた雑誌だった。
また、しばらくの間くいーんと仲良くアダルトショップに並んでいた。
4)第三の女装誌出現!?
ニューハーフ雑誌3強時代到来前の1990年代前半には短期刊行の雑誌が次々と出ていた。
一時は、くいーん、ひまわりを含め女装、ニューハーフ雑誌が瞬間的には10誌の大台にのる数が出ていた。特に発行年月が記載されていないグラビア誌系のニューハーフ雑誌が数冊あった。
もう一つの目立った流れは、平成3年12月創刊の「クロスドレシング」平成6年1月創刊「インナー・ティー・ヴィー」同じく同年11月創刊の「女装読本」の3誌である。
すべてが光彩書房の発行である。
光彩書房からは平成4年10月創刊の「シーメール白書」が定期刊行されている。
ニューハーフ雑誌以外のコンセプトを求めて試行錯誤になってしまったように思える。
「クロスドレシング」はファッションをキィワードに組み立てられた女装誌であったが、2号で休刊。次に創刊された「インナー・ティー・ヴィー」は下着を中心にした女装を提案したが、3号までで休刊。三度目の正直とばかりに誌名を「女装読本」に変えて創刊されたが、次号は見かけなかった。目標としては「くいーん」「ひまわり」に続く第三の交際誌を狙っていた。
両誌ともに発行部数が頂点に達していた頃だったので三匹目のドジョウをと考えたが、惨敗という結果であった。

5)ニューハーフ雑誌3強時代
平成8年(1996年)5月の「シーメールラブGOLD」創刊をもってニューハーフ雑誌3強時代が始まる。前年の4月には「シーメールラブGOLD」の前身である「ぼくってKIREI」が司書房より創刊され、4号まで発行されていた。
路線はニューハーフ誌ではあったが、内容的にボリューム感が不足していた印象がある。
ニューハーフ雑誌は女装誌と違ってモデルがプロのニューハーフさんであるためビジュアル的にはキレイである。先行の「シーメール白書」に続いて平成7年3月に三和出版から「ニューハーフ倶楽部」が発行される。この二誌とも出版元は異なるが、編集は両誌ともに北斗出版が手がけている。3誌ともニューハーフ誌として誌面内容はほぼ同じだが、「シーメールラブGOLD」のみが「くいーん」同様の文通コーナー「読者通信交際欄」を設けていた。
この3強時代は10年程続く。
私自身も発表の舞台が「くいーん」から「シーメールラブGOLD」へと移っている。上手詩織名義でショートコミック「詩・メール」の連載ともう一本、本格的ニューハーフコミックと銘打って別名義でストーリィ物の連載を持っていた。

6)女装&ニューハーフ誌の休刊
平成16年(2004年)2月号でNO142をもって足掛け24年間続いた「くいーん」の休刊が決まった。同じ年にホモ雑誌の草分け的存在であった「薔薇族」30年の歴史も終わった。「薔薇族」の休刊はホモ雑誌も総合誌的色彩から更に細分化への道を辿った結果と思われる。
5,6誌は出版されていたと思う。
アマチュア女装誌「くいーん」&「ひまわり」の休刊の要因は二段階的にある。
第一はビジュアル的に勝っているニューハーフ雑誌の創刊にある。値段も安い。
くいーんのバックナンバーの残部が目立つようになってきたのが祝100号を迎える頃からである。時期的にニューハーフ誌3強時代に入ったのが平成8年(1996年)であり、くいーん100号は平成9年(1997年)2月号という日付である。時期的符号が一致する。
もう一つの要因は出版界全体に共通して云える事でパソコン、ケータイの普及である。
くいーんの柱である「求友メッセージ」に大きな打撃を与える結果となった。
創刊当時はケータイやパソコンによる出会い系サイトなるものは存在しなかったので、ひたすら文通コーナーに頼るしか方法がなかったのでくいーんを買っていた読者が存在していた。
ところが、ケータイやパソコンの出会い系サイトに取って代わられてしまった。
そして第一段階の要因にあげたニューハーフ誌も雑誌の機能を持つパソコン、ネットの影響を受けて休刊に追い込まれてしまった。私が関わっていた司書房の「シーメールラブGOLD」も間接的には同じ理由であるが、直接的には出版社の破綻が原因であった。
2005年から2006年はお色気出版物を出している出版社の倒産をよく耳にした。
ネットの影響は大手出版社講談社でさえここ10年赤字が続いている状況である。
7)DVD付&グラビア誌の乱立
女装誌、ニューハーフ誌ともに休刊。
「シーメール白書」だけがDVD付に衣替えして生き残っている。
現在はこのDVD付きニューハーフ誌とグラビアニューハーフ誌の路線のモノが多数出ている。
雑誌は女装、ニューハーフ誌に限った事ではないが、グラビア・情報・文芸の3部門で成り立っている。
DVD付やグラビア誌は編集作業としては手間隙要らずと云えるだろうけど、読める雑誌がないのは寂しい。
こうした状況の中、2006年9月に女装系同人誌「ヒロイン」が創刊され同年11月には創刊2号が発行された。発行者はYoko Senitaさんで北海道のあの破綻した大手都市銀行のOLさんである。破綻後に上京してきたらしい。「ヒロイン」は「くいーん」をイメージして作っていると彼女は云っていた。ページ数が36Pという小誌で判型はくいーんと同じA5判である。
部数は100部で定価300円の手売りである。
渋谷の「サファイア」内での販売が主である。
エリザベスとくいーんの関係を思わせる。
本人の弁では「くいーん」に似せて作ったのは、復刊したと思わせて買わせてしまうつもり、と冗談のような事を云っていた。現在では「ヒロイン」は新宿の女装スナック「サイクル」での領布で
、最新12号が完成間近らしい。
そして此の度、本誌が読める新女装誌として登場です。
是非、10年、20年と息の長い雑誌に育つよう読者の皆様と一緒に祈念いたしまして僭越ですが3・3・1の手拍子ヨロシクお願いいたします。
ヨ!シャン!シャン!シャン!ヨ!シャン!シャン!シャン!ヨォー!シャン!!ありがとうございました。
次回はエリザベス以前以後、メイクの現場を予定しています。ご期待下さい。
女装文化の歴史
第一回 了
★上手詩織プロフィール
女装文化に詳しい覆面漫画家。その正体は謎に包まれている。
※『オトコノコ倶楽部』編集部では、女装通信にコンテンツを定期的に投稿していく予定です。
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新創刊おめでとうございます。私は女装&ニューハーフの世界について漫画界で一番詳しいのではないかと自負している某漫画家です。
「もしかして?」気づく読者の方もいるかもしれませんが、一応覆面作家という設定で登場させていただきますので、成年誌系コミック誌や実話誌で使用しているペンネームは封印です。本邦初の女装専門誌「くいーん」の創刊当初より関わり、漫画、イラスト、小説の挿絵、及び情報ページ等々を担当させてもらいました。
その後、ニューハーフ雑誌「シーメールラブGOLD」にて「上手詩織」名義で「誌・メール」というファンタジーショートコミックの連載他を描いていました。今回、編集長に「女装文化の歴史」というアカデミックで立派なタイトルをつけていただき、久々(2年ぶり)の女装誌ですのでハリキっています。内容的には、女装の四方山話ですので、お気楽にお付き合い下さい。
さて、本題ですが、私の手元のは「くいーん」全142冊を中心に、女装、ニューハーフ各誌が揃っていますので、私なりの各誌との関わりを含めてくいーん以前以後について触れたいと思います。
1)風俗専門総合誌
最近はテレビも専門チャンネルが沢山あって私などは見るのに困ってしまう程です総合テレビと、専門チャンネルテレビ、総合から細分化、多様化という流れは世の常です。女装、ニューハーフ誌も同様の経過を辿っています。「くいーん」が創刊されるまでは「女装」のテーマは風俗専門総合誌の中で、ホモ、SM、フェチ等々と一緒に誌面の1コーナーとしてのみ存在していました。私が所持している「風俗奇譚」「奇譚クラブ」は古本屋で手に入れたモノです。一番古いモノは昭和41年9月号で、裏表紙には定価350円とあります。
「風俗奇譚」には富貴クラブという会員制女装クラブが、毎月レギュラーでページに関わっています。富貴クラブはイメージ的にはエリザベスのシステムにプレイルームが併設している感じです。
女装者愛好の男性も出入りが出来るわけです。
ですので、誌面内容は、富貴クラブの会員交友録や富貴クラブ内のパーティーレポートです他に「女装愛好の部屋」という文通コーナーもあります総合風俗誌の1コーナーとしての女装ページですが、写真、創作、レポート(情報)、文通と基本的な要素が詰まっていますね。
「奇譚クラブ」は新しい風俗文献誌と銘打っており、創刊は第三種郵便認可が昭和31年4月とありますので、「富貴クラブ」の郵便認可昭和35年8月よりも4年程早い事になります。
こちらは、富貴クラブのような女装クラブが母体として関わっていないので、女装をテーマにするページがレギュラーとしては定着していません。
特記すべきは、団鬼六の名作SM小説「花と蛇」が掲載されていることです。
昭和52年に入って休刊していた「風俗奇譚」の復刊が始まりました。
私自身、今度はリアルタイムで手に入れました。
この頃にはエリザベスも開店してましたので見覚えのある店内が背景に写っている女装写真が掲載されています。
定価は1000円です。
同様の定価で昭和53年54年頃「ブラックキャッツ」という総合風俗誌が大人のオモチャ系の店舗で売られていました。
この雑誌は誌面の大
半を文通コーナーに使っています。
当時は今のようなパソコンやケータイの出会い系サイトがありませんから雑誌を介しての出会いの需要は大きかったので、成立していた雑誌です。
昭和57年(1982年)この頃では「くいーん」も10号の大台です。
他の分野もSM,本も既に雑誌と既に専門誌が出ていてもう総合誌の時代ではなかったと思います。

『くい~ん』創刊号。アマチュア女装交際誌の幕開けです!
2)初の女装専門誌「くいーん」の創刊
アマチュア女装交際誌「くいーん」の創刊!
これは「女装」の旗印を掲げたという点で、女装界にとって歴史的な意味があったと思います。
私は神田店がオープンするまでは日暮里店によく足を運んでいました。
店内には書き込み用の置ノートがありました。
女装者の自己表現の場的な面があったと思います。
この書き込みノートは、神田店がオープンすると、サロンと呼ばれていたスペースに置かれていました。
このサロンという場所は、階下でメイクを済ませ女装姿が完成した後に階段を上がって女装者の人達が集まる茶話室です。
ここの担当者が世良さんという方で本人も女装者とのことでしたが普段は男姿で接していました。
又、作家志望であると云っていまして「くいーん」誌上にも連載小説を一本書いていました。
その世良さんが私に「今度「くいーん」が創刊されるので表紙イラストを描いてくれないか?」
という打診がありました。
その時点では私は劇画制作会社Sに所属していたので会社との関係を考慮してお断りしました。
が、その時私が仮にイラストを担当していたら女装・ニューハーフ誌の表紙は写真ではなく、イラストという流れになっていたかもしれません。
結局は表紙は描きませんでしたが、誌面では、長年のお付き合いに発展しました。
くいーんには「女装交際誌」と銘打ってありますが、雑誌の柱として文通コーナー「女装者求友メッセージ」が創刊号より巻末を飾っていますが、当然、創刊前にメッセージは本来ありません。
そこでエリザベス会館に来る女装者の人達にサロンで世良さんが、求友コーナーに参加協力を求めていました。
私も協力させられました。
その甲斐あって参加者は、60余名に及んでいました。
創刊から一年度、編集部に20歳の石川さんが入社しました。
石川さんは父親が映画の美術を担当している血筋もあってイラストの上手い女性です。
NO7から石川さんのイラストが私と一緒に誌面を飾っていました。
この時はまさかと思っていたでしょうが、2年後のNO18(昭和58年6月号)より、二代目神田三夫編集長となるのです。
この号より背表紙が変わります。
初代の編集長が3年で退社後、石川編集長が最終号のNO142(2004年2月号)まで長きにわたって担当することになる。
くいーんの編集部には関わった年数の割には数回程度しか顔を出していない。
1989年頃行った時くいーんの発行部数は5000部だと云っていたのでスゴイ!!と思った。
それにほぼ完売!購販理由は求友メッセージ目当てらしい。
二番人気はメイク特集と云っていた。
編集部内の本棚にはくいーんが各冊3冊ずつ揃えて並べてあった。
仮定の話ではあるけれど、男性編集長だったら?と聞いてみると、「もっとスケベになったんじゃない」と答えていた。
読者のニーズにも色々あって、小説なんか全然読まない人もいると話していた。
この日私は担当している小説やイラストを届けに来ていた。
増ページになって毎回ネタ(企画)を見つけていくのが大変だから小説でページを埋める事に頼ってしまうのもある程度仕方がないのかなという気がした。
今振り返ってみると、くいーんは女装総合誌の王道を歩んでいたんじゃないかと思う。
くいーん休刊後、数年して石川さんを中心にファッショナブルなムードの表紙で女装誌が創刊されてエリザベス各店で売られていた。
部数が僅かだったので手に入れ損ねてしまったのは残念。誌名も分からない。

くい~んは全巻で142冊と歴史を感じさせます。
3)ひまわりの登場
もう一つのアマチュア女装誌「ひまわり」の創刊。こちらの編集長はバイク女装のキャンディさんです。一度編集部兼プライベートルームとして借りていたアパートを訪ねたことがあります。
1991年10月です。
場所は京浜急行・大森町駅から数分の所でしたがすぐに分からず、交番で聞いたりして苦労した思いがあります。
キャンディさんが「雄美社」として借りていたアパートは、木造二階建てで玄関が一つ共同のゲタ箱がある昔っぽい印象のつくりでした。
二階へ上がり「ひまわり」と書かれたドアをノックした。
中から「どうぞ」との声がして部屋へ入ると6畳間のスペースに所狭しと女装用品や本、ビデオが並んでいた。女装用品で目立ったのは、ウィッグである。
天井間際にあるカラーボックスに7台くらいあった。
1台だけ人毛である。もう一つ目についたのがキャンディさん愛用のコスチュームである。
基本的にはワンピースにヒラヒラフリルのついたロリータファッションである。
必要は発明の母なのかキャンディさんはこれらの衣装を自分で作っている。
最初から出来たわけではなく、当初は買ってきたTシャツとかにフリルをつけていたらしくその一枚を見せてくれた。
私が来たら知らせると階下のヒトに云ってあったらしくキャンディさんは床をトントン叩いて合図をしていた。
まもなく、みゆきという女装者が男姿で入ってきた。
彼も女装キャリアはキャンディさんと同じく5年ぐらいらしい。
つまり、5年前くらいにエリザベス会館に初めて顔を出したという事である。
キャンディさんの話では「ひまわり」を発行する前はエリザベス会館のサロン内で「リップ」という小雑誌を出していたら「そういうモノを出すなら来ないで」と云われてその小誌は潰されたという。そして「外部のヒトは「ひまわり」はエリザベスとケンカしていると思っているらしいが、別にそういうわけではない。」とも云っていた。
この日ここを訪ねた主旨は「ひまわり」への誌面参加にあった。
プロの参加についてキャンディさんは金銭面での心配をしているらしかった。
「ひまわり」の発行はこの時点では年2回というペースであった。後に季刊化する。
販売ルートはくいーん同様本扱いというよりも大人のオモチャ扱いのアダルトショップで売られている。
「ひまわり」の場合、定価2000円で手元に入ってくる金額は800円で、1200円分は販売ルート側の取り分になってしまうらしい。
発行部数は4000部で「くいーん」と同じくらいだと思うと云っていた。
こんな経済的事情を話し出したのは、今思うとプロの参加には慎重であると暗に云っていたのだろう。結局、キャンディさんとの縁はこの日夜7時から10時過ぎまでの長時間、話をしただけであった。この頃のキャンディさんはまだ若者のしっぽが残っていた感じがした。
その後、テレビや雑誌のグラビアで見かけるキャンディさんは、中年オヤジがオバさんをしている感じになっていた。
キャンディさんには中学になる子供がいるのでPTAとかで色々云われるのでは心配していた。キャンディさんの女装観は「女装はバレるもの」という考え方であった。
このバレる、バレないは今にも通じる女装のテーマである。
「ひまわり」はNO7より、A4判の版型になるが、創刊号からNO6までは週刊誌サイズのB5判で、ページも薄いモノだった。
編集方針は現役アマチュア女装者の手作りドキュメンタリー誌で、女装者の立場で女装者の感性で作るというモノであった。
くいーんの総合誌的傾向に対して、ゲリラ的色彩を帯びた雑誌だった。
また、しばらくの間くいーんと仲良くアダルトショップに並んでいた。
4)第三の女装誌出現!?
ニューハーフ雑誌3強時代到来前の1990年代前半には短期刊行の雑誌が次々と出ていた。
一時は、くいーん、ひまわりを含め女装、ニューハーフ雑誌が瞬間的には10誌の大台にのる数が出ていた。特に発行年月が記載されていないグラビア誌系のニューハーフ雑誌が数冊あった。
もう一つの目立った流れは、平成3年12月創刊の「クロスドレシング」平成6年1月創刊「インナー・ティー・ヴィー」同じく同年11月創刊の「女装読本」の3誌である。
すべてが光彩書房の発行である。
光彩書房からは平成4年10月創刊の「シーメール白書」が定期刊行されている。
ニューハーフ雑誌以外のコンセプトを求めて試行錯誤になってしまったように思える。
「クロスドレシング」はファッションをキィワードに組み立てられた女装誌であったが、2号で休刊。次に創刊された「インナー・ティー・ヴィー」は下着を中心にした女装を提案したが、3号までで休刊。三度目の正直とばかりに誌名を「女装読本」に変えて創刊されたが、次号は見かけなかった。目標としては「くいーん」「ひまわり」に続く第三の交際誌を狙っていた。
両誌ともに発行部数が頂点に達していた頃だったので三匹目のドジョウをと考えたが、惨敗という結果であった。

司書房『シーメールラブGOLD』創刊号。
5)ニューハーフ雑誌3強時代
平成8年(1996年)5月の「シーメールラブGOLD」創刊をもってニューハーフ雑誌3強時代が始まる。前年の4月には「シーメールラブGOLD」の前身である「ぼくってKIREI」が司書房より創刊され、4号まで発行されていた。
路線はニューハーフ誌ではあったが、内容的にボリューム感が不足していた印象がある。
ニューハーフ雑誌は女装誌と違ってモデルがプロのニューハーフさんであるためビジュアル的にはキレイである。先行の「シーメール白書」に続いて平成7年3月に三和出版から「ニューハーフ倶楽部」が発行される。この二誌とも出版元は異なるが、編集は両誌ともに北斗出版が手がけている。3誌ともニューハーフ誌として誌面内容はほぼ同じだが、「シーメールラブGOLD」のみが「くいーん」同様の文通コーナー「読者通信交際欄」を設けていた。
この3強時代は10年程続く。
私自身も発表の舞台が「くいーん」から「シーメールラブGOLD」へと移っている。上手詩織名義でショートコミック「詩・メール」の連載ともう一本、本格的ニューハーフコミックと銘打って別名義でストーリィ物の連載を持っていた。

変わりゆくニューハーフ雑誌。
6)女装&ニューハーフ誌の休刊
平成16年(2004年)2月号でNO142をもって足掛け24年間続いた「くいーん」の休刊が決まった。同じ年にホモ雑誌の草分け的存在であった「薔薇族」30年の歴史も終わった。「薔薇族」の休刊はホモ雑誌も総合誌的色彩から更に細分化への道を辿った結果と思われる。
5,6誌は出版されていたと思う。
アマチュア女装誌「くいーん」&「ひまわり」の休刊の要因は二段階的にある。
第一はビジュアル的に勝っているニューハーフ雑誌の創刊にある。値段も安い。
くいーんのバックナンバーの残部が目立つようになってきたのが祝100号を迎える頃からである。時期的にニューハーフ誌3強時代に入ったのが平成8年(1996年)であり、くいーん100号は平成9年(1997年)2月号という日付である。時期的符号が一致する。
もう一つの要因は出版界全体に共通して云える事でパソコン、ケータイの普及である。
くいーんの柱である「求友メッセージ」に大きな打撃を与える結果となった。
創刊当時はケータイやパソコンによる出会い系サイトなるものは存在しなかったので、ひたすら文通コーナーに頼るしか方法がなかったのでくいーんを買っていた読者が存在していた。
ところが、ケータイやパソコンの出会い系サイトに取って代わられてしまった。
そして第一段階の要因にあげたニューハーフ誌も雑誌の機能を持つパソコン、ネットの影響を受けて休刊に追い込まれてしまった。私が関わっていた司書房の「シーメールラブGOLD」も間接的には同じ理由であるが、直接的には出版社の破綻が原因であった。
2005年から2006年はお色気出版物を出している出版社の倒産をよく耳にした。
ネットの影響は大手出版社講談社でさえここ10年赤字が続いている状況である。
7)DVD付&グラビア誌の乱立
女装誌、ニューハーフ誌ともに休刊。
「シーメール白書」だけがDVD付に衣替えして生き残っている。
現在はこのDVD付きニューハーフ誌とグラビアニューハーフ誌の路線のモノが多数出ている。
雑誌は女装、ニューハーフ誌に限った事ではないが、グラビア・情報・文芸の3部門で成り立っている。
DVD付やグラビア誌は編集作業としては手間隙要らずと云えるだろうけど、読める雑誌がないのは寂しい。
こうした状況の中、2006年9月に女装系同人誌「ヒロイン」が創刊され同年11月には創刊2号が発行された。発行者はYoko Senitaさんで北海道のあの破綻した大手都市銀行のOLさんである。破綻後に上京してきたらしい。「ヒロイン」は「くいーん」をイメージして作っていると彼女は云っていた。ページ数が36Pという小誌で判型はくいーんと同じA5判である。
部数は100部で定価300円の手売りである。
渋谷の「サファイア」内での販売が主である。
エリザベスとくいーんの関係を思わせる。
本人の弁では「くいーん」に似せて作ったのは、復刊したと思わせて買わせてしまうつもり、と冗談のような事を云っていた。現在では「ヒロイン」は新宿の女装スナック「サイクル」での領布で
、最新12号が完成間近らしい。
そして此の度、本誌が読める新女装誌として登場です。
是非、10年、20年と息の長い雑誌に育つよう読者の皆様と一緒に祈念いたしまして僭越ですが3・3・1の手拍子ヨロシクお願いいたします。
ヨ!シャン!シャン!シャン!ヨ!シャン!シャン!シャン!ヨォー!シャン!!ありがとうございました。
次回はエリザベス以前以後、メイクの現場を予定しています。ご期待下さい。
女装文化の歴史
第一回 了
★上手詩織プロフィール
女装文化に詳しい覆面漫画家。その正体は謎に包まれている。

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